facebook

ワルシャワ(ポーランド) 見たこと思ったこと 【NEW】  2017.01.11


■ ドイツではあの戦争が国家犯罪に… 17/02/20

数年前、元ドイツ・ナチ軍将校がアルゼンチンで逮捕。ドイツ最高裁判所は90歳代の老人を戦争犯罪人として終身刑にしたニュースがありました、ユダヤ人大虐殺に手を染めたドイツ人は数千人いたに違いない。70数年経過した今でも世界の果てまで探し出し、逮捕・拘留。公に裁く徹底ぶりです。

誰が何をしたか。何故、当時の詳しい状況が解るのか。不思議でした。今回、ワルシャワ市内、元ゲットー区に建設されたユダヤ博物館を見学。その謎が解けました。大小20数のゲットー(戦時中ユダヤ人が隔離されたエリア)にはリーダーがおり、秘密裏に組織化され、連絡網が整備されていた。ナチ軍の監視体制が克明に把握、記録した。そして、誰が、いつ、どこへ連れ去られたか。そのヒトの氏名・住所・年齢・性別などがリスト化されていた。戦後、各ゲットー床下から発見。それが旧ナチ軍の戦争犯罪人を未だに追及・特定できる重要な資料になっていることを知りました。

一方、日本はどうか。極東裁判でA級戦犯で裁かれた筈のエリート軍人がいつの間にか神社に祀り、時折、国家リーダーまでもがつるんで参拝する。何の為に…。何故するのか…。日本人は戦争への“ケジメ”が甘い…と諸外国から批判される理由の一つ。あの戦争は「国家犯罪」だったとの認識が殆どない。厄介な慰安婦像問題もその一つ。歴史や文化が違うと何度言っても「犯罪」を犯した事には変わりがない。下手な「言い訳」ぐらいにしか聞こえないのが世界の現実なのです。

70余年前、大日本帝国軍の中にも「これは“戦争”とは言えない」「国家的な“犯罪”だ」と思ったヒトがいたに違いない。が、言い出せなかった。それを言えば“阻害”され、やがて“粛清”される。ダンマリが一番…と。 この組織風土は今も脈々と生きています。例えば、東電・福島原発、東京・豊洲移転。シャープも東芝も、このままでは「ダメだ…」と思った幹部がいたに違いない。言い出せない個人の勇気のなさが問題なのか。批判をしたら許さない集団でのイジメが問題なのか。ダンマリが一番なのか…。上は政治家から下は小学生まで…。ユダヤ人に学べ。ドイツ人に学べ。


■ ダンプリングのルーツ 17/02/18 2

寒い国はやっぱりスープが一番。種類が豊富。そして、蒸かしか焼きの団子系が美味しかった。大昔(鎌倉時代)にモンゴル民族がスラブ民族を統治していた歴史がある…聴きました。そんな名残が色々な“Dumpligs”系の料理なのかも知れません。香辛料が少なくサッパリした味でした。


■ 冬のお茶が旨い 17/02/18

我が家の食卓。ポーランドで頂戴した品々でパッと明るくなりました。

ワルシャワ料理店や家庭にお呼ばれするといつも出されたホットティー。「冬のお茶」(Winter-Tea)と言っていました。毎回、お替りする程、美味しい。オレンジとレモンをいれた紅茶にハーブを少々。ハーブの種類は分りませんが花弁を乾燥させてモノ(?)。独特の香りがする。作り方は至ってシンプル…そう見えた。お土産にとそのハーブを頂きました。

早速、「冬のお茶」を作ってみました。が、ワルシャワのお茶とは別物。ガックリ…。お茶は原料ではなく風土・気候など環境が作るらしい。シンプルなほど難しい…。


■ 自転車の法整備を急ごう 17/02/17

ポーランドの語源、《平原の道》とのこと。道理で街中には自転車が多い。マイナス気温の中でも起用に乗っている。自転車専用ロードが整備されている。日本では専用ロードがある処とない処があり、法整備を急がねばなりません。


■ ヤルタ会談 現代史の死角 17/02/16  3

戦争博物館を見学。第二次世界大戦はドイツ・ナチ軍のポーランド侵攻(1939年9月)で火ぶたを切った。よく知られた事実です。博物館の地下に戦時中、ワルシャワ市内に140数キロあった地下壕の一部が復元されている。縦横無尽。神出鬼没。ポーランド軍は徹底抗戦に挑みました。日本はいよいよ絶望的なゼロ戦特攻を開始。本土決戦を覚悟します。そんな頃、ロシア・クルミア半島に米英ソ連3ヶ国のリーダーが集まり、終戦後の陣取りが話し合われた。ヤルタ会談(1945年2月)です。ポーランドはソ連領へ。ドイツと日本はソ連と米国が分割統治。東北・北海道はソ連領へ。

その後、広島・長崎に原爆投下。ソ連も米国に次いで原爆保持を宣言。冷戦開始。そして朝鮮動乱へ。それらがなかったら今の日本は北方領土の騒ぎではなった筈です。

ヤルタ会談中、ルースベルトの元に“吉報”が届きます。原爆の実験成功。「コレさえはれば偏屈のレーニンなど怖くない…」と思った事でしょう。何故ならは翌日から急に彼の主張が強固になった…と歴史書は語っています。車椅子の障害を抱えていた政治家ですから、保持をチラつかせるだけで十分…。まさか次期大統領が広島で使うとは思わなかったでしょう。そう信じたい。穿った見方をすれば、もし、広島・長崎が無かったなら、東北・北海道はどうなっていたのか…。今となれば真実は闇の彼方です。


■ 屋根裏部屋で描いた絵 17/02/16 2

ユダヤ博物館に展示。涙が込み上げてきた絵。天井裏の薄暗い狭い部屋の中で少女が描いた絵。明るい色づかい。どんな思いで描いたのだろうか。少女はゲットーの住人となり、その後、ホロコーストへ。二度と戻らなかったのとこと。ゲットー(1940~43年)があった周辺は今は簡素な市営住宅地。ひっそりと碑が立っていました。


■ ポーランドから帰国 17/02/16

昨日、ワルシャワから帰国しました。

初めて訪れたポーランド。学者、研究者、理学療法士、大学生。水中運動療法に携わるポーランドの方々との出会い。親しく話し、聞き、とても有意義な講習会でした。わざわざデンマーク、イタリアからも受講してくれる方がいました。

経絡分野からの東洋的なアプローチ(私)、PNF分野からの西洋的なアプローチ(ルースさん)、双方からのアイチの見方や指導を相互に体験。「こんなチャンスは初めて…」と主催者のエバさんは大喜びでした。ありがとうございました。


■ 博物館めぐり 17/02/13

寒い…肌が痛い。最高気温マイナス8℃。終日、博物館巡り。ユダヤ博物館、ショックの連続でした。ユダヤ人がポーランドに移り住んだのは13世紀。世紀毎に面々と展示。次第に戦争へ。あの悍ましい大虐殺の展示へ。戦争博物館も見学しました。度重なる多民族からの侵略。ポーランド人の独立への歴史が解りやすく展示されていました。そして、第二次大戦時のゲットー跡地へ。全ての痕跡が1943年でストップ。その後、ゲットーに隔離された人々は消え、コロポースト(アウスビッチ)へ輸送。ワルシャワは徹底的の破壊された。終戦時、ポーランドの人口は3分の1になっていた…。ホロコーストはワルシャワから300キロ離れた酷寒の地。汽車とバスとを乗り継ぎ、片道3時間と聞き知り、行くのを諦めました。

宗教上の戒律が厳しいユダヤとモスラムは両極端。カウンターパート的なスタンスです。ユダヤ人は例え1%の血を受け継いsればユダヤ人。ユダヤ教徒。モスラム人は血の受け継ぎは無関係。戒律を守り、意識すれば今日からでもOK。その違いがはっきり解りました。


■ 女性名水泳コーチとの出会い 17/02/12

ポーランド水泳界を代表する女性コーチ、ボジアナさん。今回、会場となった大学プールの責任者。熱心に受講してくれました。素晴らしい指導者には独特の風格がある。優しさと厳しさを併せ持った不思議な威厳がある。ボシアナさん、”Junkoria”(ありがとう)…dziekujemy … 忙しい方なので、お別れのご挨拶をできなかったのが心残り。いつか、また、お会いしましょう。お元気で。


■ 旧市街 ミニツアー 17/02/09

ワルシャワの旧市街地をミニツアー。中世期からのゲイト。そして、戦前の街並みを忠実に復元。ポーランド人の意地と誇りを感じます。この辺は旧ドイツ&ソビエト軍の猛攻撃で全面破壊されたエリアだったそうです。ビルごとに破壊された年と復元された年が彫られていました。

 


■ 最高気温がマイナス 17/02/08. 2

ワルシャワ、無事到着。マイナス10℃とのこと。雪はない。が、ホテルの駐車場には薄っすら雪。歩くとキュキュと鳴るパウダースノー。部屋の中はTシャツ・短パンでOK 。明日、昼、ルースさんを迎えに再び空港へ。今夜は早めに就寝します。


■ ヘルシンキ到着 17/02/08

ヘルシンキ空港到着。乗り継ぎ便、2時間待ち。ワルシャワへ。

フィンランドは40数年ぶり。外はマイナス6℃とのこと。が、空港内は快適。大変な混雑振りです。前回、30前後でした。ヘルシンキ郊外に新設したナショナル・トレーニング・センターを視察。大小4面プール。その一つは全底面が鏡張り。世界初。北欧独特のシンプルなデザイン、ゴミ焼却炉の余熱利用の温水プール、などびっくり。カルチャーショックでした。

ここヘルシンキは日本水泳界にとっても思い出の街。ヘルシンキ五輪での前畑さんの金メダル。女子第一号になった所です.


■ スラブ美人の国へ 12/01/11

スラブ人は超“ベッピン”が多いことで知られています。ロシア美人の多くは実はスラブ美人なのです。スラブ民族は歴史に翻弄され、東欧・西欧・ロシアと広範囲に分散。東スラブ人はイスラム教。西スラブ人はカトリック教へ。ポーランドは西スラブ人の代表国です。

1980年代、旧ユーゴのサラエボで起きた悲惨な内線。宗教が異なるスラブ人同士が戦った。第一次世界大戦も第二次世界大戦もスラブ諸国が発火点。世界史の“窓”と称される所以がここにあります。

スラブ諸国の中でポーランドは優等生。小国ながらユーロ加盟国。堅実な経済成長をしています。今回、時間があれば首都ワルシャワの下町で“マンウォッチング”を…と思っています。もしかして超ベッピンを観察できるかも…。


■ 初めてポーランドへ 17/01/10

来月、2月上旬にポーランドへ。首都ワルシャワ。初訪問の国なので勉強しています。

ポーランドと聞くと、旧ドイツ(ナチ)軍が起こした大虐殺のイメージが強い。第二次世界大戦の口火をきったのも旧ドイツ軍のポーランド侵攻でした。古くは東洋と西洋をつなぐユーライア大陸の基幹ルートの一つ。国名となった語源が「草原の道」とのこと。地政的に要地だったことから多民族から度重なる侵略占有された長い歴史があります。なので、ポーランドは「世界史の“窓”」なのだそうです。

現在、ポーランド人口は約4千万人。欧州連合(EU)加盟国の中ではドイツ、フランス、英国、イタリア、スペインに次ぐ経済規模を誇っています。
01-10%e3%80%80%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%8901-10%e3%80%80%e3%83%af%e3%83%ab%e3%82%b7%e3%83%a3%e3%83%af