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スイミング創世期を創ったヒトたち 退職祝い    2015.03.16

DSC00101『神奈川県招待選手権・一杯飲み大会』と称する奇妙な大会要綱が届きました。県下老舗スイミング「横浜スイミングセンター」と「鎌倉スイミングスクール」の大黒柱として勤務した水泳コーチ仲間(森野弘さん/中田敏雄さん/荘司伊知郎さん)が退職。長年の尽力を労おうと地元(横須賀)に集まりました。

神奈川県は東京都に次いで日本代表五輪スイマーを多く輩出した県です。今回、退職する三名、いずれも代表選手の育成強化に携わったヒトたち。縁の下の力持ち。彼らの地味で献身的なサポートがなかったら、決して陽の目を観なかった。そんなスター選手が多い。本当に長年ご苦労さまでした。

何と彼らの大先輩、大川静夫さん(現名古屋在)が急遽登場。宴に華が咲き、盛り上がりました。大川さんとは第1回全国中学(1960年/静岡県浜松市)で知り合い、その後、長い長いお付き合い。が、彼が“現役”を退いてから久しく、10数年ぶりの再会でした。

大川さんはスイミングクラブ業界創世期に大活躍。陰陽に彼の影響を受けて水泳コーチは決して少なくありません。1960年代後半、体育大を中退。単身渡米。当時、世界最強チームだったサンタクララ・スイム・クラブの“伝説の大コーチ”ジョージ・ヘインズ氏へ弟子入り。水泳コーチ修行。帰国後、“雨後の筍”のような建設ラッシュだった当時のスイミングクラブで実践指導。“本場”を知る貴重な人材でした。

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オール神奈川最強チーム。彼らの中から五輪スイマーが…メダリストが育ちました。中央に座す三名、歴代水泳連盟会長。中央が故古橋さん。右が林さん。左が佐野さん。いずれも神奈川に縁のかる方々です。

神奈川県 国体チーム


ジョージ・ヘインズ大川静夫さんが師と仰いだジョージ・ヘインズとは…、どんなヒトだったのか。

世界トップスイマーを数多く輩出したサンタクララスイムクラブで24年間。その後、UCLA→スタンフォード大コーチと歴任。七度、五輪コーチ(1960~1988年)を務めた。この間、53名の五輪スイマーを育成。ドン・ショランダー、マーク・スピッツなど、彼が育てたスイマーは何と44個の金メダル、14個の銀メダル、10個の胴メダルを獲得した。2006年5月1日、82歳で没した。本 七度目の金メダル

“生涯現役”を信条とした彼は生前一冊も本は書かなかった。が、没後、彼に関する自叙伝他が数冊出版された。中でも最も有名なのが『彼らが得た金メダル』(チェック・ワーナー薯)。ジョージ・ケインズの“伝説の神話”と称される数々のストーリーをまとめた一冊です。[右:写真参照]

大川さんが訪れた時、大川さん自身は20歳前後。ヘインズ氏は45歳前後。水泳コーチとして最も油が乗っていた最盛期だったことになります。大川さんは水泳コーチ・ヘインズ氏の“素顔”を知る数少ない日本人の一人でした。

サンタクララう スイムクラブ サンタクララう スイムクラブ 2


[ コメント ]

  1. Aqua Dynamics Institute より:

    半世紀前、横浜港から客貨物船で単身渡米した大川静夫さん。彼を掻きたてた熱意の源は何だったのだろうか。

    サンタクララへ行った日本人は彼が最初ではない。彼の前にも居たし、後ろにはもっと居た。が、彼の特徴は自前の旅費だったこと。そして、持ち物が他とは違っていたこと。彼以外の日本人はペン&ノートとカメラ。彼は小型テープレコーダー(カセットが出現する前ですから…)と望遠鏡だった。他の日本人は大コーチ(ジョージ・ヘインズ)の日々のワークアウト・メニューを書き写した(コピーが出現する前ですから…)。が、大川さんは大コーチの「声」を録音。プールサイドでの言動を観察した。

    今日風に言えば、他は「トレーニング」だったが、大川さんの興味は「コーチング」そのものだった。極東から独りで来た貧乏若者。その熱意の源泉をシッカリ見抜いた大コーチ。さすが伝説のヒトです。