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南米チリ パタゴニア他 アイチトレーナーズ講習会   2016.12.20



16/12/15

今朝、無事、帰国しました。

サンチャゴからパリへ。13時間。パリから東京へ。11時間。機内に24時間。乗り継ぎ便待ち6時間。計30時間。南米チリへの2週間の旅が終わりました。

今年は海外の旅の当り年。イタリア、韓国(2回)、アメリカ(2回)、香港、タイ、スペイン、チリ。8ケ国、計10回。海外で多くの方々と出逢い、話し、聞きました。彼らからたくさん学び、教えられた。アクア、セラピー、日本、そしてアジアの事、色々考える機会を与えて貰った。ありがとうございました。お世話になった方々へ。お礼申し上げます。


16/12/13 3

明日、パリ経由で帰国の途へ。ラストデイナーはチリ料理の有名レストラン。日系二世、オギノさんと2年振りに再会しました。彼はプロの指圧師、TV番組に出演するほどの有名人。会話の中でチリ人と日本人の気質の違いについて興味深い話をしてくれた。日本人はイエスとノーの中間を理解する。が、チリ人は理解出来ない。例えば「まあまあ大丈夫…」…”Casi Bueno”(Almost Okay)と言う場合、日本人なら肯定的に…が、チリ人は否定的に解釈する。何事もハッキリしないと納得しないらしい。

結婚生活が維持できず、直ぐ離婚するチリ人が多い。原因の一つは、この考え方「まあまあ…」なら良し。これが許せないからだ…と言うのです。昨今、日本人でも”Almost Okay “の曖昧さを否定する。受け入れない。許せない。そんなヒトが増えているのではないでしょうかネ。

何はともあれ、明日、チリを出国。日本へ戻ります。長旅でご迷惑をお掛けしました。


16/12/13 2

昼食後、ホテル周辺をブラ歩き。昼時なのでビジネスマンで混んでいました。チリに限らず、隣国アルゼンチンでも同じような光景。歩道で男女がすれ違う時、女性が除けることはない。ただ止まるだけ。常に男性が除ける。なぜか…?

ここ南米は長い間、欧州列国の植民地だった。なので常に白人男女の人口比率が悪く、圧倒的に女性が少なかった。白人の女性は特別に大切にされた。そんな歴史的背景があるのではないか。レディーファースト。もちろん「紳士の嗜み…」もあるでしょう。が、前から来る女性が除ける気配はない。堂々と歩いてくる。恐れ入ります。

街の両替店。円レートはない。それだけ日本との関わりが少ない、とも思える。が…新車の多くは韓国製。家庭電化品は中国製。日本製はなかなか見かけない。価格最優先。質より量。そんな時代の中で、日本が成長するには、どうすべきか? 


16/12/13

ここサンチャゴで最も人気があるサンドウイッチを食べました。ボリューム満点。二つにカット。それでも満服になった。この店のオーナーは戦後、ドイツから移民。ドイツ流サンドウイッチで大成功したとのこと。確かに美味い。店先に列ができるお店。


16/12/12 3

パタゴニアではセーターが必要でした。が、ここサンチャゴは真夏。今日は日中33度とのこと。それだけ気候の変化があるワケです、仕事の都合で一足先に戻ったカミラさんと会い、夕食。ピスコサワーで乾杯。街はクリスマスシーズン。真夏のクリスマスです。


16/12/12 2

首都サンチャゴに到着。南米最南端のプロトモントからオッソルノへ。2時間。オッソルノからプコンへ。4時間。プコンからクリコへ。8時間。そして、今日、クリコからサンチャゴへ。4時間。延べ18時間、高速バスに乗車。各地で様々な光景を見ました。ハードな旅でしたが、とても貴重な経験でした。

今日、クリコのバス・ステーションで見た光景もその一つ。母と娘の涙の別れ。抱き合い、泣きながら話して、また、強く抱き合う。出発直前、硬い握手。どのような事情か、推し量ることはできません。が、田舎出の娘が都会へと旅立つ。母親の切ない気持ち。涙の別れでした。

携帯、スマホ、SNS。インターネットの急速な普及で、今や日本では「別れ」と言う言葉は死語に近い。別れに涙は付きもの…そんな光景は見なくなった。インターネットは便利ですが、反面、人間らしさ、心の機敏が少なくなりましたね。


16/12/12

ほぼ1週間滞在したクリコ。今や世界的の有名になったチリワインの一大生産地。郊外に出ると広大なブトウ畑が広がり、ワイナリーが点々とある。今回、講習会を企画運営してくれたグロリアさんによれば、ワイン好きなら誰もが知るワイナリーがずらり立ち並んでいるとの事。周囲の山々の裾野まで延々と続くブドウ畑。そんな富豪たちが暮らすエリア。邸宅内にある私設リハビリ施設が5日間の会場でした。

チリのリハビリ界の有名人グロリアさん。彼女の「夢」は南米一のアイチ王国にすること。そして、将来、南米各国のアイチリーダーとネットワークを広げ、南米独自のアイチ指導者育成のシステムを創りたい。そんな「構想」を話してくれました。

彼女は元チリ・パラリンピック委員会理事。水中リハビリの「父」マクミラン博士(英国人でハリウイック法考案者) の愛弟子の一人。人脈も実績も充分。キット「夢」は叶うことでしょう。私は日本から精一杯の支援と応援を送ります。今から、グロリアさんと一緒に首都サンチャゴへ。


16/12/11

アイチ・ トレーナー育成講習会。5日間。無事終了。世界一細長い国チリですから、そう簡単には会えない。寝食を共にした仲間たちとの別れ。時間がかかります。全員が帰ったのは1時間後でした。

宿泊先のオーナーの案内で国立公園へ。7つの滝がある渓谷。スケールの大きさに感動。帰路、オーナーの知人宅に寄り道。ローカルな「オンセ」を頂戴しました。オンセとはチリの食事習慣で 「午後の 朝食」と言われる物。ローカル食の象徴的なオンセ。チャンチョウ・エン・ピエデラ(Channcho en Piedra)と言うのを食べました。地元特産のトマトを石臼でつぶし、塩と調味料(ニンニクに似た臭い)だけで味付けしたシンプルなモノ。自家製のパンをスープにつけて食べる。実に美味い。。感動的な旨さでした。

スープとパンを作ってくれた農家の老女。80歳。懸命に働き、真面目に 、一途に 、生きて来たヒトだけが保つ、神々しい顔をしていました。別れる時「元気でネ…また来てネ」と言われ目頭が熱くなりました。明日、首都サンチャゴへ戻ります。



16/12/10 2

明日は最終日。参加者の有志とクリコの下町で夕食。名物料理を食べました。スペイン語は全く分からないのですが、何故か、全く気になりません。頭の奥のどこかで思い出してる節があります。遠い昔、フィリピンで聞いていた言葉だからかも知れません。

土曜日の夜です、市内中心部のプラザは若いカップルや子連れのファミリーで、結構な人出でした。!

大木に飾られたクリスマスのイリミネーションも…。周囲の街灯も…。どこか暗い。町の「光」の多さと明るさ。庶民にも直ぐに分かる国の豊かさです。景気のバロメーター。電気は倹約の象徴でしからね〜。どこかの経済学者がそう言っていました。


16/12/10

昨夜 、バーベキューパーティー。炭火で豪快に肉を焼く。買出し、下準備、焼き、後始末。一切合切を男性たちが行う。女性たちはほとんど何もせず、見ているだけ。食べ頃を見計らい、出してくれる。肉本来の味。味付けは塩のみ。実に美味い。もちろん、チリワインを飲みながら食べる。そして、お気に入りのリズムに乗って次々にダンスを披露する。陽気な国民性だけあって、実に楽しい一夜でした。



16/12/09

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南米チリは世界一細長い国。北は広漠とし砂漠が広がる。南は深い森林。人口よりも多いかも… と思う牛と馬の数々。街郊外牧草地には自由に放牧された家畜がウロウロしている。そして広々とした畑。山の裾野まで広がってる。スケールの違いに圧倒されます。

チリ南部には、第二次世界終結後、多くのドイツ人が移民。アルゼンチンもウルグアイも酪農家の多くがドイツ語を話す背景にはこんな事情がある事を知りました。その為か、ランチはポテトが定番。スープもポテト系が多い。ポテトとビーフさえあれば 生きられる。そう思っているチリ人が多いのかも知れない。

もっとも、大昔、スペイン人が南米大陸に初めて踏み込んできた時、彼らが初めて知った作物がポテト、トマト、オニオン。イギリス人が北米大陸に初めて踏み込み、知った作物がトーモロコシ、パンプキン。今やヨーロッパの食卓に欠かせない大切な食材は新大陸から鉱物資源と一緒に持ち帰った農作物だったワケです。


16/12/08

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温泉地プリコから工業都市コリコへ移動。ゴージャスな夜行バスで7時間。快適なバスツアーでした。この地は首都サンチャゴから車で南へ4時間ぐらいとか…。この街の富豪の敷地内に立てたリハビリ施設でアイチ・リーダーの養成コース。5日間 。施設オーナーの御子息が障害者。そのリハビリのために立てたのだそうです。現在、地域住民にも施設が解放されているとのこと。昨日からスタート。少人数でのリーダー育成。隣国アルゼンチンからも参加。

今日は、日本では太平洋戦争の開戦日。が、カトリック教国では、今日は、マリヤがイエスを宿したとされる「処女懐妊日」で祝日。早朝からリックを背負った人々が道を歩いている。何事か…と聞いてみた。片道80キロ先の聖なる山に登り、今日、御参りすると願い事が叶うのだそうです。

今回も前回同様に通訳してくれる美人さん。2年ぶりにカミラさんと再会。流暢な英語で色々教えてくれました。お世話になります。




16/12/06 2

州立大学プリコ校。土地柄なのでしょう「観光学科」とのこと。期末テスト中。ので、先生とホテル経営の方々のみ。近年、レジャーの内容が変化。「観光」が「健康」に…。フィットネスとツーリズムとがクロスオーバー。温泉地なのでアクアとの連携が必要なのだそうです。少しは役に立てた様です。


16/12/06

プリコ郊外にマポチェ村がある。大学関係者の計らいで車を出してくれました。「直ぐ近くです…」とのこと。が、1時間近くかかリ、やっと到着。さびれた「観光村」でした。わら造リの縦穴式。中央に炉。周囲の柱に例のマプチェ独特の飛び道具。ホンモノを初めて見ました。総じて暮らし向きは、縄文と弥生の中間ぐらいだったのでは…。当時のスペイン人は鉄砲を持ち、馬に乗っていたワケでしから…。赤子を捻る様な感じだったのでしょうね〜。


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この地、マポチェの里プリコには美味しいスープがある…と、連れってくれました。「カスウエラ」と言う名の極上のスープ。その専門店へ行きました。ラテン語圏は何を食べても美味しいのですが、特にスープがうまいですね。

カスウエラはビーフ系。具たくさんで食べ応えあり。ポテト、パンプキン、オニオン、キャロット。そして骨付きビーフ。テールかと思いきやレッグとのこと。よく煮込んでおり、マポチェ料理に欠かせない調味料が「隠し味」とのこと。愛想抜群のチェフがウインクしながら教えてくれました。ご馳走さまでした。


16/12/05

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オッソルノからプリコへ移動。高速バスで3時間強。深い森を抜けると四方が山々に囲まれた一大温泉地でした。例えて言えば、軽井沢と箱根を足した様な街。この地は「マポチェ文化」の中心地。博物館があると知り、行ってみると閉鎖。ガッカリ…。

数世紀前、スペイン人が収奪しにこの地に初めて踏み込んで来た時。南米最南端には二種類の人種がいた。独自の言語と文化を持ってた。大柄で強い高地に住む人種。小柄で弱い低地に住む人種。高地人は異様に大きな足だった。ので、「ビッグフット」を意味するパタゴニアと称された。一方、低地人は数が多く、友好的だった。ので、「土地っ子」を意味するマポチェと称された。戦闘的なパタゴニア人は100年足らずで全滅。種が絶えた。マポチェ人は今でも細々と種が伝わっている。が、虐げられ、疎外され、街の片隅でひっそり暮らしている。アイヌもインディアンも、世界中の少数民族が辿る悲しい歴史。ある種の敬意を込めて「名」が残ってるだけ増しとも思えるパタゴニア。北海道の地をアイヌと言いているのと同じ。貴方はどう思いますか?



16/12/04

南米最南端、パタゴニアでの初のアイチ認定講習会。無事修了。少人数でしたが内容の濃い講習会でした。終始、お世話になったカルメンさん。今回、企画してるれたグロリアさん。ありがとうございます。とても良い経験でした。明日は中部(北)へ移動します。パタゴニアの先は南極。南極でアクア…ちょっと考え難い。ついにココまで来たか…。今日は長距離バスで移動。プコンへ。明日は大学で講義…との事。どこの国も、どうすれば高齢者の健康を維持できるか。アクアで何ができるか? 何が出来ないのか?それを知りたがっているようです。


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こちらの講習会のスケジュールは日本とは違う。朝9時にスタート。昼まで3時間。昼食。午後は1時から4時。「オンセ」(Once) と称する長めのオヤツ休憩がある。オンセとは「午後の朝食」との意味があるらしい。かなり本格的な軽食。リラックスした雰囲気。質疑応答が多い。午後は5時からスタート。終了は夜8時。夕食は10時前後。就寝は12時前後。勉学意欲も体力もある。 目の輝きが日本の学生たちとは違う。キラキラしている。若者らしい。


16/12/03

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理学療法専攻の学生に講義。現代セラピーの概論。リハビリ、セラピー、フィットネス。三分野のアクアの共通点と相違点を話しました。明日はアイチについて実技指導。今夜は早めに就寝します。

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16/12/02

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明日からの講習会の会場視察。Dr ミリンダと昼食を取りながらミーティング。帰り道 万年雪のオッソルノ山と対面。南米最南端、パタゴニアのランドマークです。神々しい姿。


16/12/01

南米チリ。無事到着です。成田からパリへ12時間。空港で仮眠、6時間。パリからサンチャゴへ13時間。空港でミーテイング、3時間。国内便で2時間。出迎えの車で2時間。パタゴニアの中心地オッソルノ。明日は終日何もなし。今夜は早めに就寝します。

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