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タイへ 旅の思い出  2017.04.05

 


17/04/06

タイより無事帰国しました。

仏教国タイ。相手を敬い、礼儀を重んじる国。男女で言葉が違う。尊敬語、謙譲語、丁寧語。日本語と同じよう。象徴として王国が今も存続している国体も似ている。そして、何よりも、東南アジアで唯一、タイだけが欧米列国の植民地にならなかった。竹のようにナヨナヨしながらも芯は曲げず、独立国を保った。これも日本とよく似ています。

タイ人の生き方。色々学びました。お世話になりました。ありがとうございます。


17/04/05 2

夕暮れ時、ホテルロビーのお洒落なカフェで独りお茶。間も無く隣のテーブルに座った初老の日本人ご夫婦。裕福そうな身なり。関西弁でまくし立てるように声高に会話。買物した土産品の値段で揉めている。安いのか? 高いのか? 得したか。損したのか? 損得勘定でケンカしている。些細な額の違い。みっともない。

長い人生を二人で歩んできたのではないのか。既に互いの考え方の違いは知ってる筈ではないか。わざわざ海外旅行までして、こんなホテルのロビーで言い争う事ではない。安っぽい”エゴ”は捨てましょう。残りの人生、楽しく、面白く、明るく生きましょう。

もしかすると、ご夫婦はふさけていたのかも知れません。関西弁で話すトークを聴くと、怒っているのか、ふざけているのか…その違いがよくわかりません。私にはケンカしているように聞こえました。


17/04/05

明日 朝便で帰国します。フェースブック上、ここ数日、桜満開の画像で溢れてます。タイへ旅立つ日、横浜は冷たい雨。外は結構な寒さだったのでセーターを一枚多めに着込んだ程です。それが今、桜満開とは…。

今回のタイへの旅。北部のチェンマイは一昔前の風景がそこかしこに残っていました。「年金暮らしの日本人老夫婦。特にゴルフ好きの方が結構多く暮らしている」と知人から聞きました。一方、大都会バンコック。中心街は終日渋滞。何処へ行くにも車と人で混雑している。

と言う訳で、明日の便に乗り遅れないように空港近くのホテルへチェックイン。何と部屋のTV。東京全局のTV番組が観られるとのこと。すごい時代ですね〜。バンコク最後の夜は独りでTV鑑賞と”シャレ込み”ますか…。


17/04/03

バンコクでの講習会、今日は中日。夕食は友人と…。彼は商社マン。バンコク支店長。隅々まで何でも知っている。ガイドブック常連のタイ料理店へ案内してくれました。名物のカニ料理。うまい。そしてスイカジュース。これまた超うまい。2杯も飲みました。

彼とは半世紀の付き合い。英語力抜群。人生の半分以上は海外勤務。東南アジアの国家プロジェクトの裏話をたくさん話してくれました。面白かった。今年が海外最後の年。来年から東京本社の役員とか…。


17/04/02

腹もタイメシにだいぶ慣れてきたので、ホテル近くにあるナイトマーケットへ。シンプルなタイ麺を2種類。そして、お目当のスイカジュース。これが絶品。日本のスイカの味とは違う。なぜだろう。土壌なのか。肥料なのか。どっちもなのか。不思議だ…。

出がけにシャワーのような大雨。テレビを観て、1時間後、出掛けた。そのせいか夜市はいつもの人混みではなかった。


17/04/01 2

バンコク初の夕食。タイ料理。なんと”morning grow”が出てきた。南国のいたって庶民的な野菜。日本語名もあるのかも…。生育が早く、毎朝、収穫できる事から「朝育ち」との名がある。ストローのようキク。味はない。が、シャキシャキした歯応えイイ。ニンニクとの相性が抜群。久しぶりに食べた。

20代後半、フィリピンの大学に3年勤務した。安給料。給料前いつも「金欠」。大学裏手の学生相手の安食堂へ。決まって注文したのがこの野菜のニンニク炒め物。一皿で大盛りメシ2杯。満腹。幸せでした。そんな思い出がある野菜です。

日本では「空芯菜」と言うのだそうです。 日本では売っていないと思ってました。ありがとうございます。事務所近くの八百屋さんでも売られているとは…。「灯台元暗し」とでも言うのでしょうかね。強火でサッと炒める。ニンニクとペッパー。少しのパクチーを入れる。あとはご飯があれは何もいらない。


17/04/01

バンコク到着。ここが私の部屋。このホテルが明日からの講習会の会場。移動なし。楽ちん。お世話になります。


17/03/31 2

明日はバンコクへ。チェンナイでの快適な宿も今夜が最後。ここは終日、静か。様々な鳥の声が聞こえる。時間が止まっている。この数日、一度も目覚ましは使わなかった。南国特有の鳥のたちの派手な鳴き声に起こされていたからです。首都バンコク大都会ですから、様子が一変するに違いない。目覚まし時計を掛け忘れないように気をつけます。お世話になりました。


17/03/29

今夜はカラオケ居酒屋へ。お客が好みの歌をリクエスト。出番が来ると、入れ替わり次々に唄う。テーブルにドカ〜ンと出て来た焼魚。蛋白の味。美味しい。その魚の由来を聞いてビックリ。昭和の頃、天皇がタイ訪問。国王へ贈られた品々の中には稚魚があり、その後、大量養殖に成功。今では全土で食べられている…との事。国民から慕われたその国王も先日崩御。ショッピングモールの玄関に喧嘩台がありました。

ところで何気なく耳にした客の唄。タイ語で歌っている。が、どこかで聴き覚えのある曲。なんと清志郎の「雨上がりの夜空に」でした。


17/03/28 3

チャンマイ市内で見かけた庶民の足。乗り合いタクシー「シーラ」。”四輪車”と言う意味との事。昨今はエアコン付きのミニバンの方が人気なのだそうです。さすがに人力車「リキシャ」の時代は終わったらしい。お土産ショップの入口に展示されていました。

半世紀前、私はフィリピンの首都マニラで3年間暮らしました。当時、戦争の爪痕があちこちに残っていました。駐留米軍が払い下げしたジープに屋根を付けて改造。「ジプニー」と称する乗り合いタクシー。この便利な乗り物を日々利用しました。タイのシーラのルーツも同じかも知れません。


17/03/28 2

明日からスタートするグループセラピー&アイチ講習会。医大教授プラパス先生との打合せは早々に昼食へ。タイ料理。ホテル経営のビフエ・レストラン。数種類の麺類。韓国料理とは全く違う辛さ。もちろんスイーツも数種類。そしてお目当のスイカ。タイのスイカの味は世界一…と私は勝手に決め付けています。たらふく食べました。”アーライ”(美味しい)。

間も無く大型観光バス(2台)で押し寄せて来た老若男女の中国人。にわかに大騒ぎ。見事な喰いっぷり。さすが13億人のパワーはスゴイ。対応するホテルマン達も流暢な中国語でサービス。中国人ほどではなかったが、40数年前、日本人もこんな風だった。パワー最盛期の民族は一度は通る「門」なのでしょうね〜。


17/03/28

チャンマイ初日の朝。ここが今週の我が家。国立医大から徒歩範囲のゲストハウス。広い部屋。快適そうです。願わくばシャワーの水圧がもう少し強い方がいい。が、東南アジアの中には星が数個並んでいるホテルでも、水圧がイマイチの場合がある。大学のゲストハウスにしては上々。満足です。

周辺には学生向け大小のドミトリー。すぐ近くにあるショッピングモール。なんとダイソーが出店していました。 


17/03/27

タイ第2の街チャンマイへ到着。長い一日でした。

早朝、横浜は冷たい雨。成田は雪。季節外れの滑走路の除雪。出発便が軒並み遅れ。2時間遅れでテイクオフ。この遅れが尾を引き、バンコクでの乗り継ぎ便には乗れず次の便へ。空港内、国内便ターミナルをブラブラ歩き回り、時間を潰しました。避暑地プーケット便ゲート前は日本人家族ずれで混雑していました。日本では年度末で忙しいこの時期….、子供連れで海外旅行とはゴージャス。どんな仕事をしているのか…。もともと働いていないのかも…。など、身なりのイイ彼らを見ながら余計な事を思いました。


明日は朝からミーテング。お休みなさい。