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【NEW】 facebook journal  2018年7月より   2018.07.31


■ 健康産業・今後の行方 18/07/29 2

SPORTEC 2018。前日午後、会場入り。工事現場に似た慌ただしさ。お目当のブースがどこなのかウロウロしました。展示用具他は事前に宅配で送っていた。が、設定に数時間かかりました。そして、最終日。会場の撤収は早い。バタバタと音を立て、会場は見る見るうちに消えて行きました。その手際の良さ、お見事です。

この3日間のために多くの人々が動き、お金も数億円が動く。来場者も数千人。人々との出会いがあり、仕事の輪が広がる。チャンスとモテベーションの向上。お金や労力には代え難いメリットがある。私の会社ではこんな商品があります。こんな事ならお役に立てます。お声を掛けて下さい。ヒトもモノも精一杯の売り込みをしていました。お疲れ様でした。

裏側から見たSPORTEC。機会を作ってくれたJSSへ感謝。勉強になりました。ありがとうございました。


■ 健康産業・国内最大のイベントへ 18/07/28

健康産業の一大イベントSPORTEC。関連分野の商品展示会、講演会、競技会、その総合力と企画力。携わる人々の熱意と実行力がスゴイ。この一大イベントを支えた背景には健康市場の拡大と継続があったから…。それにしても驚きの一言です。

今回、縁があり、JSSさんのご好意で、ブースの一角にアクアギアを展示。告知パンフを手渡しました。初日と最終日の2日、終日、ブース前に立ちました。業界の新旧知人の方々とお会いしました。たくさんお話ししました。

この業界の現状を欧米と比べた場合、タイムラク(時間差)があるのかないのか。タイムリファイン(時間割)があるのかないのか。そのワケは…。などなど…。業界発展のポジティブ観も大切ですが、利点がけではなく、逆に欠点や障害などネガティブ観を論じることも大切だと感じました。

ブース前でのパンフの手渡し。当然ながらほとんど人々は無関心。これが世間の現実です。今度、駅前でティッシュ配っていたら、無視せず、受け取ろうと思いました


■ アルゼンチェンの思い出 2 エビータの家18/07/23

5年前、南米アルゼンチェンへ。機内だけでも24時間。乗り継ぎを含めると30時間。初のアイチ認定講習会でした。アルゼンチンと聞けば、頭に浮かぶのがエピータとゲバラ。そして、マラドーナ。ぜひ、エピータが住んでいた場所をこの目で見たいと…思いました。

エピータことエバ・ペロン(Eva de Perón)のストーリーはミュージカルで大ヒット。マドンナが主演で映画化へ。主題歌”Don’t Cry for Me, Argentine”に世界中が涙しました。第二次世界大戦後、激動のアルゼンチン。泥沼化した軍事クーデターの嵐の中で君臨したペロン大統領。その妻は元ハリウッド女優。夫と二人三脚で支え続けた長期政権でした。が、妻は急死。夫の政権は失脚。死後も妻への人気は衰えず、人々からエビータ(Evita)の愛称で親しまれました。

住居跡、今はただの公園。片隅に小さな銅像が立っているだけ…。エビータの痕跡は全くなかった。次の政治権力者は前任者の業績他を悉く破壊する。哀しいかな、これが人間のエゴです。


■ アルゼンチェンの思い出 チェ・ゲバラの家 18/07/22

電車で真向かいの席にいた若者が着ていたTシャツ。チェ・ゲバラを模したデサインでした。イヤホーンで音楽を聴きながらスマホを観ていた。この若者はチェ・ゲバラの事をどれだけ知っているのだろうか。彼の事など知らなくても今も人気デサインであるのは確かです。

2年前、90歳で他界したキューバ革命の英雄フェデル・カストロ。チェ・ゲバラはもう一人の英雄です。カストロは宮殿で大往生したようですが、相棒のゲバラはボリビアの山中で銃殺刑。未だにどこに葬られたのかも定かではありません。没後50年。キューバで細やかな式典があったとアメリカのメディアが大きく

 

報じました。今もゲバラは反体制の シンボルとして世界中に知られた英雄です。

彼が生まれ育った故郷ロザリオ(アルゼンチン)へ行った時、少年時代から医大へ進学するまで住んでいた住居ビルへ行ったことがあります。今も誰がが住んでいるようでした。周辺の住民は彼に殆ど関心がなく、そこが住居だったことすら知らないようでした。世の中にはこの種の話しが意外に多いものです。


■ 想定外への小さな抵抗 18/07/21

昼、河川敷のサイクリングロードへ。そよ風が気持ち良い。これから夏本番なのに…すでに風は夏のピークを過ぎているようです。連日、猛暑日。西日本豪雨災害地は復興復旧がこの暑さで深刻さが増しているようです。本当にお気の毒。言葉がありません。

これも“地球温暖化”の異常気象。人間のエゴが招いた結果です。個人レベルでこの“想定外”に何が出来るか。せめてエネルギーのムダ使いをしない。電気・水・ガス・石油。こまねにチェック。焼け石に水かも知れませんが、何もしないよりはマシです。


■ デモクラシーの本質 18/07/20

政治は数、数は力、力は金

昭和の大政治家田中角栄の名言です。会期末ギリギイに国会通過した金にまつわる二つの重要法案。一つは参院6増の選挙法改正。もう一つはカジノ法案。正式には総合型リゾート(IR)実施法案と言うのだそうです。インチキ臭いですね。

ラグビー世界選手権(2019年)、東京オリンピック(2020年)と“ビックイベント”が控えています。驚愕の国家予算をつぎ込んだスポーツ施設。問題は終了後。維持管理費の捻出です。Jリーグ・サッカーくじの“端カネ”ではとても間に合わない。そこで、カジノの売上金の一部をメンテナンスに充てる。表向きはスポーツ振興と厚生社会福祉。裏向きは政治家の“マブダチ”と分け合う。田中語録によればそれも止むなし。なにせ、数→力→金、それが民主主義なのですから…。


■ 渡る世間に鬼もいる 18/07/17

本日、スマホ再開。これまでより少し大きめ(iPhone 8+Plus)にしました。文字も大きめに設定。これで明日から安心。大丈夫です。

実は、先月、アクアセラピー国際総会へ。成田⇒アトランタ⇒フォートメイアー。6月18日、アトランタ国際空港で入国手続きを済ませ、国内便ターミナルへ移動。機内持ち込みの手荷物検査所での出来事。いやに厳重で時間がかかった。大柄な黒人係官二人。この間、スマホが忽然と“消えた”。まるで手品。消えた事すら気付かなかった。気付いた時は万事休す。

あの日から1ヶ月間。うち海外他が17日間。国内が12日間。国内で最も不便を感じたのは電話でした。なんと全く何も覚えていない事に気付かされました。身近に電話がない不安。まるで財布を忘れて外出している感じに似ています。

渡る世間に鬼はなし。が、時に鬼はいる。ご注意を…


■ お見送りの作法 18/07/15

私の故郷仙台は城下町。幼い時、町外れに「見送り坂」なる地名が残っていた。小高い丘。知人なのか旅人なのか。ここで見納め。ご機嫌よう…。昔、街道沿いのこの場所で相手の姿が見えなくなるまで、その場に佇み、別れを惜しむ…それがお見送りです。

昨日訪問した故知人宅。自宅前に佇み、お見送りを受けました。バス通りへの角まで結構長い。角を曲がる時、振り返ると、まだ立っていました。脱帽。軽く会釈して角を曲がりました。

故知人宅の客間。飾り棚の奥に3個、国内総会の感謝プレートが並んでいました。ご主人の勧めて二度会場に来たことがあるとのこと。「主人はお手伝い出来ること、楽しみしていました」「若い方々(スタッフ?)のエネルギーを貰いに行くんだ」と言っていたそうです。

私が知ってる仙台は人口40万。今は地下鉄も走る大都会。長町の地名「見送り坂」は今も残っているのでしょうか。


■ 現役最後の大仕事 18/07/14

国内総会で長年お世話になった音響のプロ宅へ。ご仏壇にお線香をあげ,これまでの感謝とご冥福をお祈り申しあげてきました。5月18日没。享年75歳。初めてお年を知りました。

自慢だった大仕事、北京五輪メイン会場の閉開会式の音響プロジェクト。あの仕事が現役最後だったことになります。どうりで思入れが強かった筈です。大手音響機器メーカー退職後もディズニーランドの仕事だけは続けていたとのこと。余人に代えがたいヒトです。思い出話しになると奥様の明るい笑顔が急に曇り出しました。

昨年末、肝臓ガン発覚。ステージ・フォー。が「自分らしく生きたい」と抗がん剤治療を拒否。1月は何と予定していたアメリカ出張を敢行。さずがに2月以降のお仕事はお断りしていたようです。お仏壇に飾られていた写真は今年1月、登山した時のモノとか。いつもと変わらない素敵な笑顔でした。この時、既に覚悟は決まっていたのでしょう。

お世話になりました。安らかにお休みください。合掌。


■ 世界最大のスポーツイベント 18/07/12

ロシアW杯もいよいよ決勝ゲームを残すだけとなりました。フランスvaクロアチア。フランス人とスラブ人(クロアチア人は南スラブ民族)が激突します。二つの民族性を一言で言えばいずれも“頑固者”。が、フランスは人口減に悩み早々に旧植民地だったアフリカ諸国から大量の移民を受け入れた。今はアフリカ系フランス人が実に多い。今回の代表チームにもアフリカ系が多いことでも分る。一方、スラブ人はどうか。純粋一血。長年、ソビエト連邦の衛星国だった旧ユーゴスラビア。崩壊後、分裂。民ししかく族紛争で20万人が死亡したとされる。

未だにファンが多い渋顔で長身。前日本代表監督オシムさんはクロアチア人。一方、好男子の同監督トルシェさんはフランス人。二人とも超一級の“頑固者”でしたネ。さて、フランスがクロアチアか。あなたはどっちを応援しますか。

ちなみに、フランスはワインで有名ですが、クロアチアはビール。一説によれば米国大手ビールのバッドワイザーの創業者はクロアチア出身者だったとか…。


■ プロの仕事人 逝く 18/07/10

1990年代後半、某大手音響機器メーカーが水面に浮くスピーカーの企画開発を始めました。そのスピーカーはバスケットボールぐらいの大きさ。円盤型の羽があり、周囲3Mぐらいなら迫力のある音量が楽しめる。特許申請も済み、もう少しで商品化と言いう時、例の“平成の金融危機”が起きました。チームは解散。“お蔵入り”になりました。それ以来、何かと親しくさせてもらったプロの方がいます。

セラピーとフィットネスを分離。隔年毎に交互に開催することになった国内総会。ダンス系が多いアクアフィットネス分野は特に音響が大事。何かとお力をお借りしました。2年前は元気だったのに今回、お亡くなりになっていたことを知りました。ショック。退職後、ご夫婦で趣味の登山を楽しまれていました。羨ましいお話を沢山聞かされました。

命は如何ともし難い。ご冥福をお祈ります。合掌。


■ 初めて見た折り畳み携帯デンワ 18/07/10

2年前、惜しまれながら製造販売を止めたハイドロトーン。その会社が創立間もない頃、NY地下街のレストランで同社営業マンと初会合。契約条件が折り合わない。「私の権限はここまで。この先は社長と直接交渉しなさい…」と背広の内ポケットからデンワを出した。それも二つに折り曲がっている。コードもない。驚いた。携帯デンワを見たのはこれが最初でした。当時、日本はポケットベル最盛期。携帯デンワはハンドバック程度の大きさと重さがあった。数年後、日本でもこの“携帯”(モトローラ製)が出回りました。どんどん小さくなり、軽くなった。今ではそんな“携帯”すら見かけなくなりました。時代のテンポの速さに驚きます。


■ 思い出のホテル 18/07/05

韓国AEAがスタートした翌年(1999年)。アクア講習会に招かれ、プザンを訪れました。青木美樹さん、若林淑子さん、矢野真弓さんとご一緒でした。その時、宿泊したホテルも今も営業していました。

講習会は大盛況。韓国全土から沢山の受講者が…。大手TV取材クルーや新聞社からのインタビューを受けました。当時、日韓関係は冷え切っており、巷では“近くで遠い国”と言われている時代でした。アクアの狭い世界ながら民間交流になったと大満足でした。


■ 20年ぶりのプサン 18/07/04

20年前、初めて韓国へ。その街がプサンでした。韓国でAEAが発足。既に日本はスタートしていたのでそのプロセスを参考にしたいとお誘いを受けたのです。小さな日韓交流との思いも少しあってプサンへ行きました。

今回、20年振りにプザンへ。あの頃とは全く違う近代的な街に生まれ変わっていました。その時宿泊したホテルが今もありました。当時、最も高いビルだった筈が、両側は高層ビルに挟まれ、あのホテルが最も低りビルになっていました。韓国の発展ぶりを象徴するような街並みでした。この間、ニッホンは何していたのでしょうか