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facebook journal  2019年1月より  2019.01.30


■ 2050年、中国が世界の舵取り役になる 19/01/30

米中貿易摩擦。今は“序の口”なのだそうです。2050年には中国が三大覇権(金融・軍事・情報)を握るかも…。世界ナンバーワンになるらしい。そんな世界を予測するBSドキュメント番組を観ました。この間に南北朝鮮の統一が実現したら、国土も人口も日本より大きな国が誕生する。

日本の存在は小さくなる。日本は国全体が巨大な“温室”。中に居れば心地良い。ゆる~い空気が流れ、穏やかな日々。私たちはまったりした生活に慣れっこになっています。が、一旦、ドアを開ければ、外は厳しい空気が流れている。覚悟しなけれなりません。

国家基盤の国民統計データ値が<うっかり・ちゃっかり・しっかり>間違っていたとか…。知らなかったとか…。北方返還も、慰安婦&徴用工も、レーダー照射も、着地点が見つからない。二世政治家と高級官僚の頼りなさそうな弁明。“運”が悪かったと言いたげな顔つきです。

どうするニッポン。どうなるニッポン。


■ 人生は川の流れのように 19/01/28

過日、渋谷でお会いしたキンダークラブ(横浜・鶴見)時代選手コースだった大野さん。フィエースブックに結婚30周年の記念写真が載っていました。何と彼は紋付袴の正装。素晴らしいご夫婦です。

私が知る彼は13歳から17歳までの4年間。その後、大学進学のため渡米した。当時の私ばフィリピンから帰国して間もない頃だった。競泳コーチとしての実績を上げねば…と焦っていた。徐々に才能豊かな青少年たちが集まってきた。朝夕、日2回、ハードトレーニングをした。大野クンは朝4時起床。本牧から鶴見へ毎朝通った。冬、室内プールは水温も低く、寒々とした中、震えながら泳いだ。「あの頃の経験がその後の自分に大きな自信となった」と渋谷で語ってくれた。嬉しかった。

銀婚式は25年、金婚式は50年。日本もアメリカも人生100年時代ですから、“一里塚”の一つです。これからもご夫婦仲良く、暖かいご家族でありますように…。

歌謡曲の名曲中の名曲『川の流れのように』歌詞の中に人生が見えてきます。
 
~知らず知らず 歩いてきた|細く長い この道|振り返れば 遥か遠く|故郷(ふるさと)が見える|でこぼこ道や 曲がりくねった道|地図さえない それもまた人生|ああ 川の流れのように ゆるやかに|いくつも 時代は過ぎて|ああ 川の流れのように とめどなく|空が黄昏(たそがれ)に 染まるだけ~

■ 初代神武天皇のルーツ どこのヒト? 19/01/21 2

世界最大の大陸ユーラシア。その両端にある小さな島国。日本とイギリス。両国がもっとも長く継続している王家です。イギリスはせいぜい600年。その都度、王家が入れ替わり、一族死滅の悲惨な歴史を繰り返してきた。一方、日本の王家はどうか。少なくとも1500年は続いている。初代神武天皇の祖先は一体ぢこから渡来したのか。神武天皇陵(奈良県橿原市)を発掘すればハッキリするのですが宮内庁は絶対に許可しない。未来永劫、多分、不許可と思われます。

天皇のルーツを辿る古代史研究はダブーです。が、諸説ある。誠に不敬とは言え、私は朝鮮半島の最端にあった古代・百済王国の傍系(任那?)が北九州へ進出。その後、一族の末裔たちが瀬戸内海を北上。奈良へ。旧勢力を乗っ取った。その新勢力が天皇家のルーツではないか…。以前、古代百済王国の地にある韓国国立博物館を見学。発掘品の中に高松塚古墳(奈良)の品々と瓜二つが多かった。百済傍系説が有力では…と思っています。

世界中に王室国は20以上あるのだそうです。が、面々と継承しているのは日本だけ。今後、どうなるのは解りませんが、民族の誇りとして、気品と尊前が次の世代へ続く事を望みます。

韓国博物館の音声ガイドによると、百済と新羅が二大勢力(現代でもこの構図は同じようです)。任那は百済の従属国(?)。やがて百済に飲み込まれた。弱体化した任那グループが渡来。それが大和朝廷のルーツになったのかも…。任那の存在は薄く、三国対立ではなかったのかも知れません。大和が任那に援軍を派遣したのも“実家”だったからではないでしょうか。


■ 平成最後の天覧相撲 19/01/21

昨日、久々のOFF。昼まで寝床でゴロゴロ。午後はTV観戦。中日の大相撲。幕下⇒十両⇒幕内と全取り組みを観ました。平成30年間の80%がモンゴル人力士の優勝だったとか。嘗てユーラシア大陸の3分の1を支配した末裔たち。屈強でハングリーな彼らは大相撲でも何かと物議が多い。そして、久々の日本人横綱がケガで早々に引退。モンゴル・キラーの無念の涙。「一片の悔いなし」が印象的です。

そして、平成最後の「天覧相撲」でした。天皇・皇后がご入場すると全員起立で長い長い大拍手で迎えられた。印象的だったのがご退場。誰ともなく始まった万歳の連呼。三唱どころか何度も繰り返す大合唱。長い長い最後の別れでした。涙が込み上げてきました。

いい日曜日でした。


■ 老いは気から生じる 19/01/19

人は誰でも過去や経験がある。そして、夢や希望や計画もある。双方を“天秤”に乗せ、前者が重い人は老いている。後者が重ければ若い。加齢と老化は無関係。老化は気持ちで決まる。

「もう年だから」などと思えば必ず老いる。その通りになる。

江戸時代の蘭学者、貝原益軒の「養生訓」。健康で長生きするルールを書いた。その中で彼は~人生は60までが種まき、60過ぎたら実がなりだす~と。また彼は、加齢で失うものは何一つない。が、老化は失うものだらけだ。

ダメだ…できない…分らない。それが老いの始まり。ヤラずに出来るワケがない。前向きに…ボジティブに…プラス思考でやってみる。始めてみる。それが若さを引き寄せる。


■ 昨年は6ヶ国で52日間過ごした 19/01/18 2

ビジネス日程に限らず、日常的な出来事、興味のある事など、を手帳に書く。若い時ほどではないが“メモ”で残す。手帳はこの1冊のみ。公私の事柄は全てまとめる。コレさえあればOK。

さて、2018年は6ヶ国へ。計52日間、海外滞在しました。タイ・アメリカ(2回)、ロシア、韓国、スペイン、フランス。唯一、観光したのはスペインの古都トレドだけ。行先々で人々と会い、話す、学び、考え、食べる。それはとても楽しい。が、これも元気であればこそ…。望まれるうちが華。そのうち“お役ご免”かも…。そう思って出掛けます。

こんな日々が国外で過ごせるのも国内での各種養成・講習会を実施する優秀なスタッフとトレーナーに恵まれたから…。留守を守ってくれるお陰です。ありがとう。海外で見聞きした事、気付いた事、学んだ事、考えた事などを帰国したら、すぐ彼らへ伝える。それが私のお土産です。これからもどうぞ宜しく。


■ ウォーキングのすすめ 19/01/18

一日たった15分のウォーキングで人生が変わる。

毎日続ける事で健康になる。心のコントロール、体のコンディショニング、そして精神衛生上もメリットがある。フィットネスクラブに行く時代がないと自分に言い訳を言う必要がない。呼吸を整え、背スジの伸ばし、少し歩幅を広め、日々15分歩くだけでイイ。今日から始めましょう。


■ 同志社大卒の通訳者 19/01/17

アイチ紹介の中国語訳が完成しました。過日、STA台湾20周年記念事業で私の講座の通訳をしてくれた林誌書さん。林さんの訳です。何と彼は同志社大卒(大学院)。京都に7年間滞在。写真左端が林さん。流暢な日本語で日本と台湾の国民性の違い。現在の社会情勢や今後の発展性など多岐にわたる台湾事情を教えてくれました。勉強になりました。ありがとうございます。

第1部
https://www.spa-sauna.com.tw/ai-chi-part1/…


■ 悔いのない人生 アクアセラピー四大メソット 18/01/16

ヒトの人生は短ぃ、独りの力は小さい。だから、せめて後悔しないように生きる。

2019年1月、アクアセラピーのパーソナル指導向け「特訓クリニック」を始めました。少人数ゼミナールです。参加者は4名。熱意あればそれで充分…。

アクアセラピーの最終目的とは。それに到達するには何をすべきか。これからの高齢化社会、「水」の活用はどうあるべきか。などなど、基本の基本から話し始めました。

1~3月は動的筋調節「アイチ」。4~6月は筋緊張「バッドラガーズ」。7~9月はお休み。10~12月は静的筋調節「ハローウィック」。筋弛緩「ワッツ」は来年早々。アクアセラピー四大メッソドです。いま始めないとキット後悔する。自分にしか出来ない事をする。そんな想いです。


■ 少人数ゼミナールがスタート 19/01/15

アクアセラピーのパーソナル指導向け特訓クリニック。1月~3月は動的筋調整「アイチ」。今日はその初日です。セラピーの基本コンセプトとアイチの関連性を復習。そして、アイチの陸上動作を行いました。次回は来週金曜日(1/25)。アイチニとアイチゼンを陸上で行う予定です。


■ 水泳コーチ時代の思い出、19/01/12

水泳オールドファンなら彼の事を覚えているかも。40年前、横浜・鶴見のキンダークラブ(現アクア鶴見)のエーススイマーとして活躍したハーフの高校生。大野慶クン(英語名:Bryan Oho)。今は56歳。シアトルでアートギャラリーを経営するビジネスマン。昨夜、来日中の彼と渋谷で会場。あの頃の思い出話をたくさんしました。

コーチだった当時の私が何気なく口にしたい一言。彼は今もハッキリ覚えていた。米国の大学へ進学。アート作品の売買会社で修業。36歳で独立。何度も苦しい時を乗り越えてきた。時に私の一言を思い出し、励みになったと語ってくれたました。孤軍奮闘の人生ストリーを聞き、胸が熱くなりました。

近年、彼はセミナー講師として名を挙げている。“kaizen”の名称で全米で話題の人材育成だ。今回の来日も大手人材教育会社からの依頼。東京・大阪で実施。アート的発想をベースにしたモティベーションとクリエーションを向上させる。若手ビジネスマンたちの眠っている才能を目覚めさせるセミナーとか。内容を聞き、面白そうだと思いました。

彼のアードギャラリー(シアトル)、詳しくはこちらへ ↓↓↓
https://www.bryanohno.com/home-/index.html

当時、キンダークラブの選手コースには王子・赤坂・品川・藤沢・横須賀と広範囲からスイマーたちが集まっていた。大野クンは海外ビジネスマン家族が多く住んでいた本牧(今のマイカルタウン付近)。朝練は6時から1時間半。夕練は7時からで2時間。彼は毎朝4時半に起床。鶴見へ通った。皆勤賞を何度も貰った。あの頃の日々が今の強さの根っ子になっている。そう語ってくれました。偶然の出会いなどはない。人との出会いは必然的だ。と、私は思っています。7歳で日本に来た大野クン。13歳の時、バスと電車を乗り継いて一人でキンダーに来た。タドタドしくもハッキリとした日本語で「頑張って泳ぎますからメンバーに入れて下しい」と言った。あの時の勇気とその後の我慢強さが今の貴方の基礎になっている。これからも歯を食いしばり前向きに生きてください。Good Lurk and See you…!


■ 台北は女性一人旅も安全とか 19/01/11

過日、台湾への旅。女性の一人旅なら台北がベストなのだそうです。治安が良く、地下鉄での移動が楽チンで安全。それが理由のようです。勿論、台湾グルメもショッピングを魅力的。納得です。

さて、私も地下鉄に乗ってみました。チケットの買い方もルートもシンプルで解りやすい。私の場合、帰宅時のラッシュアワーでした。混雑していたのですが、前の席に座っていた若者がスーッと立ち上がり「どうぞ…」(お座りください)とジェスチャー…。こちらも<イヤイヤ結構です>とジャスチャーで返しました。

正直に言えば、私はズーッと前から<39歳>と思っている。が、意義にそぐはず、周囲の人々は私を高齢者だと思っている。台北の地下鉄の中、たまたま目があった若者も私が齢相応に観えたのでしょう。残念。


■ 二つの故宮博物館のワケ 19/01/09

知性と文化は比例する。それが理想ですが、知性は高いが文化が低い人が意外に多くいるものです。第二次大戦中、ドイツや日本の軍幹部には双方のバランスの欠けている人種が多かった。財宝類は略奪。闇に流して金にする。金にならない歴史文書類は燃やす。

蒋介石はそんな日本軍部(関東軍)の蛮行を恐れた。歴代王朝が営々と保管してきた貴重な財宝類と文書類を急ぎ故宮(北京)から持ち出し、上海へ移した。が、内乱が激化。台湾へ“一時的”に疎開。急を要した。上海から台湾へはほぼ半分しか持ち出せなかった。毛沢東がその後、中国を代表する勢力となり、蒋介石は疎開先(台湾)から二度と本土へ戻る事はなかった。

今日、故宮博物館が二つ。本土(北京)と台北(疎開先)にある。分割されているワケは数奇な現代史があったからです。特に蒋介石は貴重な歴史的文書類を多数、優先的に台北へ持ち出した。大日本帝国の関東軍にせよ、毛沢東率いる中国共産軍にせよ、文書類が焼却処分される事を大変恐れたからだと言われています。蒋介石の判断は正しかった。


■ 元学校の先生が日課 19/01/09

台北市内観光バスはレッド(赤)とブルー(青)の2ルート。乗り放題。私はホテル近く貿易センター(101ビル)がら乗車。途中、中央駅で乗り換え、故宮博物館へ向かいました。

バス停で待っていると“Excuse me”と英語で声を掛けられ、足元のゴミを拾ってくれた女性がいた。立ち話をした。街の清掃が行き届いている印象を言うと嬉しそうでした。毎朝のゴミ拾いが日課なのだそうです。元学校教諭とか。何か役に立てる事がしたいと考え、思いついたのがゴミ拾いだったと言う。言葉少ないが結構英語が話せるようでした。

“Have a good day in Taipei”と言い残し、去って行きました。


■ 古代史 倭国と魏の文化の差 19/01/08 

弥生時代後期、卑弥呼が魏から銅鏡100枚(三角縁神獣鏡?)を下賜した古代倭国のストーリーは有名。そんな頃、こんなセクシーな人形が創られていたとは…スゴイ。

国立故宮博物館に半日いました。たくさん学びました。圧倒的な知力と文化の差。ゲンナリしました。


■ 台湾 ラストディーな小龍包 19/01/07
明日帰国。タオペイでのラストディナーは小籠包の有名店。サスガ抜群の味でした。お世話になりました。また来たい国です。

台北でのラストディナーは小龍包の名店へ。混んでいれば2時間待ち…とか。小龍包は台湾グルメの代表格。薄皮に熱々のスープがたっぷり。もともとは上海料理、が、台湾で改良発展したのだそうです。旨かった。