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facebook journal  2020年02月より  2020.02.06

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■ SNSでのデマ情報の拡散 横浜が危ない 0/02/05

ヨーロッパの知人からのメール。中国発の新型コロナウィールズで日本が横浜が…大混乱。家族は大丈夫か…といった内容でした。どうも横浜沖に停泊中の大形客船。オーナーは日本の会社。何と乗客全員(3千名)が感染している。日本政府の初動判断のミスが事態を悪化。感染者を隔離すため大型ホテルを使用中…などなど、政府の対応が遅れた。福島原発の二の前か…。日本が危ない…そんな情報が流れたようです。それを言うなら日本ではない。発信源の中国だ…と怒りが湧き上がってきます。

フェークニュースは怖い。今やSNSで誰でも世界中に発信できる。それがウソか、ホントか。誰も分らない。“愉快犯”的な無責任な人間も多い。情報は疑ってみる。事実と見解は違う。情報の多くが見解。事実ではないかもしれない。自分の「目」と「頭」と「心」を信じる。気を付けよう。


■ フィリピンの世界遺産 古都ビガンへ 20/02/04

3月中旬、二度目の台湾へ。アイチ&ワッツの講習会です。その足でフィリピンへ。マニラでのミーティングは二日間のみ。終了後、世界遺産の街、古都ビガン(写真)へ。バスでの一人旅を…と思っています。

ルソン島北部。首都マニラから400キロ。高速バスで6時間前後らしい。スペイン統治時代に築かれた古都ビガン。豊臣秀吉に献上した「ルソン壺」で有名な貿易商、呂床助左衛門もこの街に住んでいた。第二次世界大戦で奇跡的に戦火を免れ、今も中世の街並みが残っている。1999年、世界遺産に登録された。

2008年、国立フィリピン大学設立100周年記念式典の時、スケジュールがタイトでビガン訪問は実現できなかった。今回、1泊2日で行ってみたいと思っています。

ビガンの街並みが今もあるのには、日本人将校の逸話が残っています。終戦が近づいた時、米軍は爆撃を計画。その時、捕虜だった二人の日本軍将校が米軍に懇願。「この街にはもう日本兵は誰一人いません。どうか、この歴史ある街を後世に残して欲しい…」と。結果、爆撃が免れた。イイ話しです。

50年前、初めてマニラに行った。当時、旧市街地にはレンガ造りの壁、2階ベランダの花飾りなど、スペイン時代の路地風な街並みが一部残っていました。間もなく建物が壊され、道が拡張。車の渋滞が始まり、トタン屋根の安っぽい家が急増。マニラの情緒は一変しました。今、あの街並みがあれば、一大観光資源だった事でしょう。あれも一時、これも一時


■ 五輪開催年に水泳仲間が集まる 20/02/02

四年に一度、オリンピック開催年に同窓会を開く。今年はその年です。同級生で水泳仲間の一人から連絡がありました。彼とは小学→中学→高校→大学と16年間も一緒でした。都会ではとても考えられない。が、仙台は学都。学校数が多く。特に私たちは中心地で生まれ育った。商店主の子弟が多かった。そして、当時としては珍しく、小中学にプール(屋外)があった。そんな環境があったからでしょう。

画像に含まれている可能性があるもの:10人、座ってる(複数の人)、屋外高校一年生の時、オリンピック準強化選手に東北地方から2名選ばれた。地方別に全国から男女計50名の高校生が選ばれた。東京五輪(1964年)を3年後に控えた夏です。勿論、ワタシは早々に振り落とされました。が、50名中2名が夢が叶った。その一人が故木原美智子さん(2007年没・享年59歳)でした。写真はその時のモノ(前列中央が私)。嬉しそうですね…ワタシ。

さて、今年の同窓会は仙台郊外の温泉地で一泊二日とか。水泳仲間で既に3名が他界。顧問の先生も他界。淋しい…。思い出話しをたくさんしよう…と話し会いました。

写真、後列最左側の方、当時、体育大出たばかりの若い先生。数年後、故郷秋田へ戻り、県立高校の先生に。ズーツと立ってからですが、その高校から世界新を何度も樹立した天才女子平泳ぎスイマーが輩出。先生の喜びは絶好調でした。金メダル間違いなしと言われたモスクワ五輪(1980年)はボイコット。間もなく天才スイマーは高校中退、アメリカ留学へ。先生はガックリ肩を落としたようです。そんな秘話があります。