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facebook journal  2020年02月より  2020.02.06


■ 重い腰をあげた感染防止  20/02/26

新型コロナウィルス感染。韓国に遅れる事1ヶ月。遅ればせながら日本も感染防止基本方針が出た。民間クラブの中からも陽性者が出た。クラブ内での“濃厚接触者”600名とか…。現場が急に慌ただしくなりました。集団感染の恐れが出始めているらしい。

IOCからも「早期終息ができなければ東京はムリかも…」と非公式コメント。5月末までに終息しなければ最悪の事態になる。6月に入ると各国のアスリートたちの入国が始まるからです。


■ 時に“まさか”の坂がある 20/02/24

時に“まさか”の坂がある。スーパーアクア2日目(昨日)、その坂がありました。

朝、講師のザビアさん、青ざめた顔で熱がある、吐き気がする、喉が痛くて声が出ない。今日はムリだと。もしかして“コロナ”かも…。直ぐに航空会社の医療支援センター(パリ)へ問い合わせた。返事は「直ぐに出国せよ」「医療機関へ行け」と。間もなく保険適用の救急病院(大和市内)を知らせてきた。その敏速な対応に驚きました。

緊急事態を告げ、受講者の方々に協力を仰ぎました。動揺なし。ベテランの方へ代理講師をお願いする。快く引き受けてくれ、まるでこの事態を予見したかのように粛々と代理役を務めてくれました。準備がなくても、これだけの質の高い内容ができるとは…。驚きです。

医師の診断結果は「咽頭炎」との事。ホットしました。通訳の西山さんが常時付き添い、ケアしてくれました。感謝。夜11時のフライ便でスペインへ。急遽帰国。“まさか”の長い坂が終わりました。


画像に含まれている可能性があるもの:木、空、植物、屋外、自然■ 25年間 お世話になったオンワードの閉館 20/02/22

オンワード多角化事業の一環、グアムにリゾートホテルがオープン。複合プールの活用でアイデア提供。それが縁で施設が借りれれる事になった。以来、25年の長きに渡り、施設を使わせて頂きました。今月末で閉業。残念です。

この施設がなければ、AD研の各種アクア養成&講習会はどこかで途切れていたに違いありません。お世話になりました。感謝。オンワード総研、最後の夕食。美味しく食べました。

日本経済絶頂期の1980年代。大手商社がNY超高層ビルを、音響機器メーカーがハリウッドの映画会社を、不動産会社がパリ郊外の中世のお城を…。だぶついたお金で身の程知らない買い物をしていた頃。オンワードの創業者は「金は人に使え」と言ったそうです。オンワード総研の誕生秘話を聞きました。ご存命だったらさぞ残念がった事でしょう。


■ 責任と権限 横浜で福島を繰り返す 20/02/21

2011年、福島原発事故の時に似てる。リーダーシップを取りたいトップはいるが、責任は取らない。政治家と官僚の“手柄づくり”の構図が見えてきます。事態が悪くなるとトップは隠れる。TV会見でワケの解らない答弁をするのは何時も“担当者”と称する下っ端役人。苦痛な顔。気の毒です。2月上旬、CNNニュースが「日本が危ない」と報じた。感染専門医が対策チームの中に一人もいない…と。リーダーシップを取れる人はオミットする。それが今の日本。どうなるニッポン。どうするニッポン。


■ 古風な大学先輩の生き方 フンドシからブリーフへ 20/02/19

昨夜、近くのプールに泳ぎに行った。ロッカー室で着替えている若者。何とフンドシ。それも<もっこフンドシ>と称される臀部が丸出し。今流に言えばTバック。妙にセクシーだった。インターネットで調べてみると意外に高く、1枚2~3千円でした。

学生時代、先輩の一人がフンドシ愛好者でした。水泳部の中でも際立って風変わりな方でした。私が1年生の時、既に4年生。そして、私が卒業した時、中退。祖先の中にロシア人がいたとかで人相も風貌もどことなく“外人風”でした。自称“麻雀プロ”。下着は常に新品。「男は下着を洗って履くものではない」と…。週に数回、新品のフンドシを履いていました。新入生にそのフンドシを買いに行かせる。ある日、四五枚まとめ買い、ストックしていた。が、何故かその方に稀で、一年生全員、ビンタを喰った。メシ抜き、合宿所の廊下に立たされ、ロシアンスクワット100回させられた。当時、ラーメン一杯が200円の頃、フンドシ1枚が150円だったと記憶している。仙台と言えどもフンドシを売っている店は少なかった。

ズーッと経ってから品川で再会。「今もフンドシですか?」と聞くと意外な返事。「フンドシは止めた」「今は“ブリーフ”だ」と…。年増の奥さん(ジャン荘のオーナーとか…)が下着を洗ってくれる。のろけ顔でそう言った。驚き。水泳部の集まりでこの先輩の事が話題になった。何と肝硬変で亡くなったとの事。大酒飲みでしたからネ~。

褌は日本人だけか…と思いきや、ハンガリー人も褌に似たものがある。大昔.モンゴル帝国に支配されていた歴史があるから…ではないか。褌はその名残なのかも…。日本人のフンドシとチョンマゲは北方の騎馬民族の影響と言われてますからネ。


■ ヘビーハンスの思い出 20/02/18

思い出深いギア『ヘビーハンド』を某所で見かけました。

スイミングクラブ事業に少しづつ陰りが見え始めた頃、子供に加え大人を取り込む事業形態を模索していた1980年前後。たまたまNYで見かけた「ヘビーハンズ」(Heavyhands)と言う小ギアに興味を持ちました。スイミンググラブの成人コースで導入できるかも…と思ったのが切っ掛けでした。1983年、スポーツ・サイエンス(ソニー企業季刊誌)に投稿。大好評。早速、考案者が書いた原書を取り寄せ。4回に分けて要訳を連載しました。日本では米国ほどの普及はなたっか。が、その後、ボディーパンフやノルディックステッキなどライトウェイトプログアムの先駆けになったのでは…と自負しています。ヘビーハンドを日本に紹介した本人 としては少し誇らしく、嬉しくもあります。

ご興味のある方は こちらへ ↓↓↓
https://www.aqua-adi.co.jp/info/41287.html

 

 


■ 歴史は繰り返す 東京オリンピック水泳の悪夢 20/02/16

画像に含まれている可能性があるもの:1人、立ってるリオのスーパースター。4年後、東京でこうなるとは…。これも事実。やむを得ないが…。半年後に迫った本番。水泳ニッポンの悲惨な結末を予言している。これを彼一人の”自己責任“として片付けてイイのか。こうなった背景は何か。原因はどこのあるのか。

海外合宿中に自転車で転倒。肘骨折。手術。自己責任との事。さて、海外試合中、韓国新聞社のカメラを窃盗。自己責任との事。さてさて、海外合宿中に異変。急性白血病。これも自己責任。日本代表スイマーを海外へ引率。不祥事。その時の費用は国の“税金”です。誰も事態の責任は問われない。“自己責任”なのですかネ。曖昧のまま…。

管理監督の責任者を温存したまま…。傷口を舐め合う。こんな状態で世界の強豪を東京で向かい打つ事が出来るのか。世界はそんなに甘くは無い。水泳ニッポン。二度目の東京も一度目と同じ結果になる。惨敗。歴史は繰り返す。

こうなったらからには、萩野サン。臆せず、4月の選考会へ出場。今の自分をさらけ出して泳いで欲しい。今、貴方は二人目の“古橋広之進”です。頑張れ…傷だらけのヒロー。


■ コロナウィルス騒動でフィリピン入国拒否 20/02/15

中国武漢発の新型コロナウィルスの感染が広がっています。そのトバッチリです。フィリピン政府は中国・台湾への渡航禁止宣言。入国拒否。3月中旬、台湾でのアイチ&ワッツ講習会。その足でフィリピンへ…。マニラで会議。その後は世界遺産の古都ビガンへ…と思っていました。が、それが出来なくなりました。台湾から直行で帰国することになりそうです。残念。

写真はバレンタイン前日、フィリピン首都圏マカティ市の台湾大使館前。マスクと消毒液のボトル付きのバラの花束を売る女性。感染不安を和らげるギフトセットとのこと。世相を先取り。抜け目がない…。


■ ドル送金 東京銀行横浜支店の跡地 20/02/14 2

防災防火管理者講習会の会場、横浜市研修センターへ。日本大通りのど真ん中。幕末には欧米列強の商社が立ち並んでいた。この通りの裏側の一角に勝海舟と用心棒だった坂本龍馬が住んでいた。

さて、30年前、AEA(全米アクアエクササイズ協会)の日本での認定資格養成コースがスタート。第1回目の米国送金(ドル)ができるのは横浜では唯一東京銀行横浜支店のみでした。それも手続きが簡単ではなかった。AD研の謄本や定款、AEAのNPO法人登録証明書などを提出。何度も足を運びました。その場所、今は無く。様変わり。高級な国際チェーンホテルが建設中でした。


■ 日本沈没 どうなるニッポン 20/02/14

防災防火管理者講習会(2日間)へ行ってきました。久々の“ニワカ勉強”で無事合格。やれやれ。消防法が改正。従業員30名以下の小規模法人。それも非特定対象(事務所)でも甲種防災防火資格管理者が必要。違反すると罰則が科せられる事になっています。

背景には首都直下地震。死者2万3,000人、経済被害は95兆円。今後30年間に70%の確率で起きると想定されている。大災害へ向けての政府の対策の現れです。

今回、講習会受付開始翌日に申し込んだのですが、既に定員(150名)ギリギリでした。

消防局の教官は慎重に言葉を選んでいましたが、要するに地震、テロ、放火への予防はどうあるべきか。もし、大災害が発生したら警察と消防は機能マヒ。各自、各社が適切な対応をお願いしたい。そんな内容でした。何と首都圏の火事の3分の1は放火なのだそうです。気を付けましょう。


■ アカデミー4部門を独占 韓国映画がドアを開けた 20/02/11

韓国映画『パラダイド/半地下の家族』が2020年アカデミー作品賞、脚本賞、監督賞、キャスト賞など計4部門を受賞。英語の作品以外の外国語映画としては初めて。快挙。韓国では大騒ぎでしょう。

ソウルのある労働者階級の一家が団結して不愉快なほど裕福な家族を騙してサバイバルしようとするストーリーとのこと。韓国の格差社会を抉り出した社会派映画。

「脚本を書くのは孤独な作業です」とスピーチを始めたポン監督。「今日ここに私と一緒にいてくれる役者全員に、映画に命を吹き込んでくれたことを感謝。この映画が象徴するように新しい方向性(アメリカ・ハリウッド映画界の変化の兆し)を称賛します」と、語った。ウィットの中にチョッピリ皮肉を込めたスピーチ。インテリジェントを感じました。

アカデミー授賞式でのスピーチの素晴らしさ。エスコート役の表彰者も受賞者も短い言葉で嬉しさを表現。気負いや力みがない。観客席には大スターたちがズラリ…が、舞台に上がる多くの人々は映画製作の裏方たち。縁の下の力持ちを讃える。そのバランスがイイですね。


写真の説明はありません。■ 墓標が変わる 世代が変わる 20/02/09

誕生→結婚→葬儀。人生の三大儀式。この儀式の中にその人が背負った文化が凝縮されている。生きた証の最終章が納骨です。知人の墓参りに行きました。周りの墓標の中に現代社会の縮図が見えます。例えば、伝統的な「〇〇家之墓」に混じり「絆」「夢」と言った一文字が…。中には“Let It Be”と言ったヨコ文字まで…。

戦後生まれの団塊の世代。核家族。都会化。高齢化社会。自分の存在を紐解く祖先たち、血筋の同化。そんな意味合いでの墓では無くなりつつある。墓標を見ながらそんな感じがしました。哀しむべきか喜ぶべきか。それも一時、これも一時。


■ SNSでのデマ情報の拡散 横浜が危ない 0/02/05

ヨーロッパの知人からのメール。中国発の新型コロナウィールズで日本が横浜が…大混乱。家族は大丈夫か…といった内容でした。どうも横浜沖に停泊中の大形客船。オーナーは日本の会社。何と乗客全員(3千名)が感染している。日本政府の初動判断のミスが事態を悪化。感染者を隔離すため大型ホテルを使用中…などなど、政府の対応が遅れた。福島原発の二の前か…。日本が危ない…そんな情報が流れたようです。それを言うなら日本ではない。発信源の中国だ…と怒りが湧き上がってきます。

フェークニュースは怖い。今やSNSで誰でも世界中に発信できる。それがウソか、ホントか。誰も分らない。“愉快犯”的な無責任な人間も多い。情報は疑ってみる。事実と見解は違う。情報の多くが見解。事実ではないかもしれない。自分の「目」と「頭」と「心」を信じる。気を付けよう。

政府の対応が鈍い…と言った国のイメージはレバノンへ逃亡した元カリスマ経営者も会見の中で言及。福島原発の話しは世界中で有名です。このようにデマ情報が広がる背景には“前科”(?)があるからでしょう。政府の慎重(?)な対応がマイナスになっているかも…。

WHO事務局長(エチオピア人)が曖昧な緊急事態宣言を出す。その前に彼は中国を訪問している。何故か? 何らかの“忖度”や“打診”をしたのかも…。今の中国はアフリカ諸国のトップスポンサーですからネ。イヤな感じです。


■ フィリピンの世界遺産 古都ビガンへ 20/02/04

3月中旬、二度目の台湾へ。アイチ&ワッツの講習会です。その足でフィリピンへ。マニラでのミーティングは二日間のみ。終了後、世界遺産の街、古都ビガン(写真)へ。バスでの一人旅を…と思っています。

ルソン島北部。首都マニラから400キロ。高速バスで6時間前後らしい。スペイン統治時代に築かれた古都ビガン。豊臣秀吉に献上した「ルソン壺」で有名な貿易商、呂床助左衛門もこの街に住んでいた。第二次世界大戦で奇跡的に戦火を免れ、今も中世の街並みが残っている。1999年、世界遺産に登録された。

2008年、国立フィリピン大学設立100周年記念式典の時、スケジュールがタイトでビガン訪問は実現できなかった。今回、1泊2日で行ってみたいと思っています。

ビガンの街並みが今もあるのには、日本人将校の逸話が残っています。終戦が近づいた時、米軍は爆撃を計画。その時、捕虜だった二人の日本軍将校が米軍に懇願。「この街にはもう日本兵は誰一人いません。どうか、この歴史ある街を後世に残して欲しい…」と。結果、爆撃が免れた。イイ話しです。

50年前、初めてマニラに行った。当時、旧市街地にはレンガ造りの壁、2階ベランダの花飾りなど、スペイン時代の路地風な街並みが一部残っていました。間もなく建物が壊され、道が拡張。車の渋滞が始まり、トタン屋根の安っぽい家が急増。マニラの情緒は一変しました。今、あの街並みがあれば、一大観光資源だった事でしょう。あれも一時、これも一時


■ 五輪開催年に水泳仲間が集まる 20/02/02

四年に一度、オリンピック開催年に同窓会を開く。今年はその年です。同級生で水泳仲間の一人から連絡がありました。彼とは小学→中学→高校→大学と16年間も一緒でした。都会ではとても考えられない。が、仙台は学都。学校数が多く。特に私たちは中心地で生まれ育った。商店主の子弟が多かった。そして、当時としては珍しく、小中学にプール(屋外)があった。そんな環境があったからでしょう。

画像に含まれている可能性があるもの:10人、座ってる(複数の人)、屋外高校一年生の時、オリンピック準強化選手に東北地方から2名選ばれた。地方別に全国から男女計50名の高校生が選ばれた。東京五輪(1964年)を3年後に控えた夏です。勿論、ワタシは早々に振り落とされました。が、50名中2名が夢が叶った。その一人が故木原美智子さん(2007年没・享年59歳)でした。写真はその時のモノ(前列中央が私)。嬉しそうですね…ワタシ。

さて、今年の同窓会は仙台郊外の温泉地で一泊二日とか。水泳仲間で既に3名が他界。顧問の先生も他界。淋しい…。思い出話しをたくさんしよう…と話し会いました。

写真、後列最左側の方、当時、体育大出たばかりの若い先生。数年後、故郷秋田へ戻り、県立高校の先生に。ズーツと立ってからですが、その高校から世界新を何度も樹立した天才女子平泳ぎスイマーが輩出。先生の喜びは絶好調でした。金メダル間違いなしと言われたモスクワ五輪(1980年)はボイコット。間もなく天才スイマーは高校中退、アメリカ留学へ。先生はガックリ肩を落としたようです。そんな秘話があります。